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Re: http://g9e8mk.sa.yona.la/105
それでも少し冷静で居られるのは |
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理性すらも、代償として若干の逃避を必要としているのが、なんともはや。
逃避ついでに閑話休題。
そういえば、昔から流行が苦手だった。
ニコニコも始まった頃は皆と同じ様に楽しんでいたけれど、
ガチムチシリーズ以降の人気動画は何が面白いのかよく分からない。
あと…ちと蒸し返すような事を言うけれど、
流行が苦手、という意味では今のネットの在り方もまた、苦手だ。
「面白い物を共有して云々」というのはWeb2.0のお題目としてよく聞くけれど、
それって結局、大多数と価値観を共有できる人間の話であって、
またそこから自分が外れているからこそ、
そういうウェブの在り方の向こうに「大多数の一極集中とマイノリティへの排他性の増大」が待ち受けている様にしか見えない。
でもWebというのは多様性を孕む一個の世界であるべきで、
そのような単一のイデオロギーに支配されるべきではないというのが自分の持論。
そして少なくとも今のsa.yona.laは、多分そういうのからは自由だと思う。
Re: http://sbifb4.sa.yona.la/36
CGMとクオリティ |
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「大多数が始めたら鬱陶しい」という点には同意なのですが、
それはあくまで「大多数が始めて鬱陶しくなってきたら」の話で、
いきなり今からルールを作るのもどうなのかなあ、と。
あと、創造性が無い、価値が無い、だから排除というのはちょっとどうかと。
無個性、
他者との関わりを必ずしも求められない、
他人からの評価が一切反映されない
それがsa.yona.laだと思うんですよ。
無理に周りから評価されるものを作らなくても良い。
そうやって競い合うのが嫌だ、という人もいると思うんですよ。
というか自分がそうなんですが。
「価値の有る物/者だけが存在して良い」みたいな懐の狭いルールやシステムはsa.yona.laらしくない。
無個性無意味無価値を許容できないsa.yona.laなんて、それこそできそこないのCGMに過ぎない。
Re: 「Nurien」はセカンドライフなどと同様の3D仮想世界
仮想世界と代替現実 |
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個人的には、仮想世界は「ただの自由度の高い3D空間というだけではあまり意味はないと思う。
もし今後のネットその物に対して、大きな影響を与えるような代物になっていくとすれば、
1、Webと融合する(つまり攻殻機動隊における「ネットの海」みたいな空間になる)
2、現実世界と融合する(↓みたいな網膜投影ディスプレイを利用して、現実空間と仮想空間を融合させる)
究極のディスプレイ...只今開発中 - ブラザー社員の資料室 Brother Library
のどっちかじゃないかと思う。
仮想空間の最大の特徴は「まるで本物の世界のような世界を再現できる」だけれど、
現行のシステムでは肝心の「その世界の中にユーザーが入り込む」ということができない(だからこそアバタービジネスが盛況なのだけれど)。
結局は箱庭に過ぎないのでは、あまり意味は無い。
そこで肝心なのはどうやって現実世界の延長線上に繋げるか、ユーザーの入り込める世界にするかという事だったりするんじゃないかと。
だからWebと繋げるか、あるいは現実世界と繋げるかのどっちかが必要になるんだと思う。
Re: どう見ても逆ギレ
Re: 美容室
Re: 明日のバイトがなくなった
Re: 馬鹿にしててすいませんでした。
Re: 別れ系サイト
Re: Re:自分も自転車乗りなんですが
Re: 蚊のようなもの
役に立ちたい |
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そもそも
「自殺できてしまう」ような人間が、
「他人の迷惑」を考えられるわけがない。
にもかかわらず迷惑だの何だのと言って死人を批判するのは、
ただ他人を批判して良い気になりたいだけなんだろう。
まあ、そう言う人達も現実社会では虐げられているから、
そうなってしまっても仕方ないのかもしれないけれど。
でも、やはり、人として正しいのはそうやって非難することじゃない。
それでは、これからも自殺者は減らない。
正しいのは、自殺という選択肢を選んでしまえる程に
「追いつめられてしまった人」を、寸前の所で救う事。その筈。
自分達が社会に活かされているからには、せめてそう言う形で役に立ちたいと思う。
Re: http://xmny3v.sa.yona.la/70
ニュアンス伝達力 |
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仮に実現したとして、邦題と英語タイトルの併記の良い所は、
タイトルの場合直訳では上手くいかないので(あるいは直訳不可能なので)、意訳がされると思いますが、
それを見て、
「ああ、日本語でこう言いたい時は、こんな感じのニュアンスとして意訳するんだ」
という、ニュアンス伝達力が身に付くのではないか、という点だと思いました。
自分が英語習得を迫られた時は、とにかく日常生活のふとした瞬間に「ああ、これを英語で言うにはどうしたらいいんだろう」と考える事でなんとか切り抜けましたが、そう言う時に感じたのは、
まず伝えたい事を日本語で考える
↓
それを英語にできそうな文章に変換する
↓
英語に変換する
というプロセスの重要性でしたね。
ちなみに最近知ったんですが、機械翻訳サイトでは主に中間言語方式というのを採用しているらしいですが、これはまさに上記のプロセスそのままなんですよね。
http://g9e8mk.sa.yona.la/49 |
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別に現実逃避じゃないと思うよ。
明日や将来に何かを欲しいと思うから、それを手に入れるために今頑張れるのであって、
そういうのは全然普通の事だと思う。
ちなみに、自分が数年前通ってた予備校の講師の名言にこんなのがあります。
「先生ってのは、ただ『先』に『生』まれただけで、偉くもなんともないんですよね。
私が学校の先生になれなかったのは、教員試験の面接で面接官の校長があまりにふんぞり返って偉そうな口ぶりなもので、もう教師になんてなりたくなくなって頭に来て言っちゃったんですよ。
『私も貴方もお互いただの人なのに、なんでそこまで言われて黙ってなくちゃならないんだ』って」
嫌な気分になるっていうのは、まだ貴方がまっすぐに生きているからそう思うのであって、
そして自分はもうそれほどまっすぐではないから、貴方のまっすぐさが羨ましい。
なのでそのままでいいと思うよ。
ノイズキャンセリング |
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本来、平等で無淘汰な言説というのは、人類史には存在してこなかった訳で、
そう言う意味ではスラッシュドットのようなしきい値の存在する、正当な淘汰と不平等の存在するコミュニティのほうが、自然である、というのは確かなんですよね。
とはいえ、誰もが嘗てはガキであり厨房でありクレクレでありググレカスであったように、
プライマリーな人達を排除するのも、それはまたコミュニティの新陳代謝の阻害と文化の過疎化を招くのでよろしくない。
そこで理想的なのはグループ内に相互承認による位階制を作り、「この人は自分と同じレベルである」と思った人を承認していくことで、内部に階層構造を作り、下は下、上は上で緩やかな「連続」と「断絶」を持つコミュニティにすることなのかなあ、と思っている次第。
例えば同じ位階のユーザー同士のコメントは普通に表示されても、下層ユーザーのコメントが上層ユーザーには表示されなかったり、あるいは上層ユーザーしかコメントできないトピックがあったり、またある位階のユーザー間で好評価なコメントは上層ユーザーにも表示するみたいな。
まあ上手い事相互承認のアルゴリズムをポイント制にするなどしてバランスを取らないと、ただの派閥争いになったり下らない自尊心を満たすためだけの場になってしまうのが欠点だろうと思いますが。