時間 |
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昔物理の時間に疑問に思ったのが
「時間とは線形の次元なのか」
という事だった。
我々が時間と呼ぶ次元、尺度は総じて線形をしている。
だからこの現実世界の時間について考えるときも、無意識的に線形のスキーマで捉えている。
でも時間って本当に「線」なんだろうか?
時間とは事物の「変化」である。なら「変化」は必ずしも線形でなければならないのか?
例えばルーターのライトを見てみると、ある光の点が明滅しているのが分かる。
我々はこの明滅を理解しようとすれば、「線」形のグラフを想像し横軸にtをとって縦軸に輝度をとることになる。
でも、実際のライトは、あくまである「点」が「変化」しているに過ぎない。
つまり「線形の時間」とは私達の脳が生んだ認知的現象だ。認知特性と言っても良いかもしれない。
そうしたスキーマが主観的な私達の「認知世界」で妥当性や整合性を持っていたとしても、
客観的な「現実世界」に適合できるかどうかは分からない。
つまり私達の脳内の「時間」と現実世界の「時間」の間には、我々の認知し得ないような差があるのではないだろうか。
もしかしたら、二次元の線じゃなくて一次元の点だったり、あるいはもっと違う次元体系なのかもしれない。
そんな懐疑を抱いていたら授業が終わってしまい、結局その学期のテストは散々だった。
自分を変えるという事 |
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絶望 |
自分は人として駄目だと思う。
そしてよく「変わらなきゃ」と強く思う。
実際そう思って過去に何度も自分を変えてきた。
だが、今になって気づく。
自分を変えるのは、人生をリセットするような物だと、
そして、人生をまっすぐ生きてる人に対して、自分は相当遅れてしまっていると。
要は梯子と螺旋階段の差みたいなもの。
同じ距離進んでも、梯子の方がずっと上に行ってしまっている。
そして自分はもう、その進んだ距離の差を詰められるような年齢ではない。
もうどうしようもないのだ。
だから今も、まっすぐに生きて輝いている人を見ると、
その人を正しいと感じる影で、心の何処かでは羨ましくも思ってしまう。
トップページは見ない方が良いかも知れない | ke7u9x | sa.yona.la |
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Quote |
他人の視線を意識しすぎて、”私”に戻ってしまいそうになる。はっきりと「他人の文章を読む」と決めたとき以外は、トップページは見ない方が良いかもしれないな。
他者の表現方法(話題というのも含む)を、つい取り込んでしまいそうになるのは確か。
そしてレスをつけたくなるのも。
でも自分はあえてQuote
ReplyとQuote |
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もし、「誰でもない自分」として存在したいのなら、
ReplyよりQuoteを使うべきなのかもしれない。
Replyだと相手にレスが付いた事が、伝わってしまう。
Quoteだと、
■みんながオンリーワンになりたがってしまったら、
結局ナンバーワンが生まれてしまう。
他人と自分を比べなくても、
人気やアクセス数の差は、グーグルでもなんでも、ランキングという形で発生してしまうのだから。
これなら、自分はレスを付けられるし、
相手はそれを気にしないで済む。
もし、エントリ検索ができるようになれば、返信は必要なくなる・・・のかも?
Re: そんなに見ないけどさ
Re: 群衆の叡智
単細胞生物から多細胞生物 |
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Reply |
単細胞生物が集まると、それぞれの細胞は個々の機能に特化していき、人間のような多細胞生物というのはそうして出来たものと考えられているらしいです。
そういう特化っていう現象はシステム科学の分野ではよく扱われる現象なんですが、
システム科学に言わせれば社会でも同じような事が起きているそうで、それがいわゆる分業化というものだそうで。
もちろん個々がなだらかに平均的になる場合もあるし、そもそも寄せ集まらない事もあるんでしょうけど。
ヒトデとかボルボックスみたいに。
ただ集団分極化の行く末は、単純に極端になるだけじゃなくって、多細胞生物でいえば中枢神経系のように、それら特化した各部分を調整する何かが出てくるというのも、システムの特徴だったりするので、むしろ今後はそういうサービスがウェブ上に誕生すると面白いと思うんですよね。
ディベート形式でルールに基づいて主張をぶつけあって主張の勝敗を決する、みたいな。
HeartRails Sphere | ブロゴスフィア探検サービスを調べてみた |
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調べてみた |
群衆の叡智なんて信用できない。
コミュニケーションのスケールフリーネットワークが作り出すのは、
思想信条の加速化だけ。
その内極右と極左しかネット上で発言する人物は居なくなるんじゃないのか、なんて思ったりもする。
別名「集団分極化」という現象。