ヒトに優しくありたい |
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かつて、ヒトから疎われる人間だったからだろう。
自分は大方の「普通」からズレた人間に対して寛容であると思っている。
たとえ自己中心的な考えに陥っていても、困っているなら助けを出す。
だからめざわりとか不快とか、そういうのを理由に他人を排除することはまずしない。
よくそれを「集団にとって不利益」だとかそういう大義名分を以て、排除しようとする人間を見かける。
だがそんなのは、相手を見下し、力を行使し、正義に浸り、自尊心を満足させたいだけの行為だと思う。
人身事故が起きると、「ヒトの迷惑を考えろ」とか言うヒトがいる。
自殺という手段を選ぶまでに追いつめられた人間にそんな事を考える余裕なんてある訳が無いというのに。
むしろ問題があるのは、そうして他人を批判するほど余裕がある人間が、
飛び込んでしまった彼か彼女が自殺という選択をしてしまう前に、助けられなかったという事ではないか。
ヒトに優しくありたい。
forth・coming - goo 辞書 |
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Quote 英語 |
forth・coming
forth・coming
━━ a. やがて来る(べき); この次の; ((しばしば否定文で)) すぐ間に合う; 進んで気持ちを打ち明ける; 親しみやすい.
一度出会ってから未だに納得のいかない英単語。それがforthcoming
なぜ「次の」とか「すぐ間に合う」と、
「進んで気持ちを打ち明ける」「親しみやすい」が同じ単語のニュアンスに含まれるのか。
高校生の時の俺がこの単語に出会った瞬間、本気で単語に対して殺意が湧いたのを覚えている。
主観を測る術は無く、そして正しき理性は彼方へ |
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何かを「正しい」とする判断は、厳密に言えば、「その時点の主観において正しい」という事を意味する。
だが問題は「その主観の在り方が正しい」とは限らないという所にある。
それ故、無益な争いや、人生に関わる大きな失敗を、人はしてしまう。
だからこそ、正しい主観の在り方というのを常に意識しつつ、
しかし主観なんていうあやふやな代物が正しく在るのはとても困難であるからこそ、
自分の主張に対して少し控えめになったり、違う主張をする人に対しての接し方をよく考える様になった。
だが自分の判断というヤツに関しては、疑ってばかりでも先に進めないので、
そこはもう主観に対して精進有るのみ、というしかない。
…と、業界分析なんぞをしていたらそんな事を思った。
Re: ある会社
最近友人がネットを辞めました |
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まあネットを辞めるといっても、PCを廃棄しただけですが、
で彼が言うには、
「ネットはマイナーだったからやってたのであって、今はもうメジャーだから嫌だ」
だそうで。
…彼が次に行き着く新たな世界に注目を向けざるを得ない。
デザインとシステム理論はニアリーイコール(結論 |
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■
デザイン、デザイニングの最終地点は、
“真理への到達”
“具体的・個別的な事物に対する普遍的な解析方法の発見”
だと思う。
↑は理系の学問について共通して言える事なのかもしれないけれど、
とくにデザイニングというのは現実に目の前に存在しているものを扱っているという点が特徴だ。
■
もちろん事物の徹底的な抽象化や仮想的な命題についての取り組みからは、
真理へ到達することができない、という訳ではない。
ただ、デザイニングの扱う命題は、
目の前に存在する、しかし“それを指摘されて始めて気づくような”モノだったりする。
■
「事物の徹底的な抽象化や仮想的な命題についての取り組み」では、
あくまで“人が気づいているもの”を、さらに人の頭の中でこねくりまわしているだけだ。
しかしそうして作られた理論というのは、人がそれまで気づきもしなかったモノによって、あっさり破綻する。
これは環境政策や社会政策において、よく見られる事だ。(机上の理論による環境保護がかえって生態系を破壊してしまうという事など)
そしてそういう“目の前のモノ”、“目の前にあるけれど一見分からない事”を重視し、
そこから全体へのアプローチを考えるという点は、まさにシステム理論と同様なのだと思う。
しかしこうして自分の文章をみると、やはり哲学書を殆ど読まずに思想を語る事が如何に醜いか、ということを感じずにはいられないなあ…
Re: 57分
さいんくりんぐおーるどまん |
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先日、ピナレロという高級自転車メーカーのハイグレードモデルに乗って、
時速35kmくらいでかっ飛ばす高速爺を見ていよいよ高齢化を実感しました
Re: 腕時計
肝臓ガンの発生率はなぜ西日本で高いのか? 汚染米の転売先との不気味な関係 - Technobahn |
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Quote |
肝臓ガンの死亡者は「三笠フーズ」の汚染米が流通していた西日本に偏る傾向があり、また、時系列的にも「三笠フーズ」の汚染米が流通し始めた10年前頃から増大傾向にあるなど、不気味な相関関係が生じている。
ガンと三笠の関係の立証が困難だから、その内忘れ去られるかもしれないニュース。
本の表紙 |
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本の表紙というヤツは、本来その本を宣伝するべき最も重要な要素なのに、
いわゆる小説の表紙ときたら、そのような宣伝効果を一切無視したような抽象画もどきが鎮座してたり、
もっとひどいのだと、ある出版社の本全てが同じ表紙だったりする。
最近デスノの作者が表紙を書いたり、松山ケンイチが表紙に載ってたりするような本が
書店にならぶようになっているけれど、あれはまさに表紙の持つ広告宣伝力を活かした良い例だと思う。
ちなみに、あまり自慢できたことじゃないが、自分はいわゆる日本の文学作品というのをあまり読んだ事が無い。
なんでかというと、本のタイトルを見ただけでは内容が全く分からないので手を出す気になれないからだったりする。
まったく無個性な表紙と、そこに並ぶ「夜の靴」「海に生くる人々」「天衣無縫」などという訳の分からない、下手をすれば「雨」だの「風」だの「道」という無個性極まりないタイトルという名の「文字列」を前にして、好奇心なんて湧く筈が無い。
だから最近思うのは、文学作品の表紙には、例えばエヴァの次回予告のような
終わらぬ、
戦
い
蟹工船
みたいなキャッチコピーを積極的に導入するか、さもなきゃタイトルのバックにあらすじをびっしり書くか、
そう言う事をしない事には活字離れというやつにも歯止めが効かないじゃないんだろうか、と思う。
いずれにしても、商品のパッケージとして、あれほど惜しい物は無い。
Re: http://g9e8mk.sa.yona.la/105
それでも少し冷静で居られるのは |
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理性すらも、代償として若干の逃避を必要としているのが、なんともはや。
逃避ついでに閑話休題。
そういえば、昔から流行が苦手だった。
ニコニコも始まった頃は皆と同じ様に楽しんでいたけれど、
ガチムチシリーズ以降の人気動画は何が面白いのかよく分からない。
あと…ちと蒸し返すような事を言うけれど、
流行が苦手、という意味では今のネットの在り方もまた、苦手だ。
「面白い物を共有して云々」というのはWeb2.0のお題目としてよく聞くけれど、
それって結局、大多数と価値観を共有できる人間の話であって、
またそこから自分が外れているからこそ、
そういうウェブの在り方の向こうに「大多数の一極集中とマイノリティへの排他性の増大」が待ち受けている様にしか見えない。
でもWebというのは多様性を孕む一個の世界であるべきで、
そのような単一のイデオロギーに支配されるべきではないというのが自分の持論。
そして少なくとも今のsa.yona.laは、多分そういうのからは自由だと思う。
http://g9e8mk.sa.yona.la/105 |
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頑張れるのは逃げているからで、
だから頑張れば頑張る程追いつめられ、
しかし頑張らなければ罵声を浴びせられる。
人生を奪われるか、心を壊されるか、そのどちらかしか選択肢がない。
それとここ数ヶ月で
「自分から逃げるな」とか
「人生を切り開くのは自分しか居ない」とか
そういう言葉を偉ぶって言う人間の事を一切信用できなくなった。
ブエルタ13stg |
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自転車 ロードレース ブエルタ・ア・エスパーニャ |
感想
結局コンタかよ。
多分このままマイヨオロは保持し続けるだろうから、
グランツール全制覇というニュースが数日後には流れるのだろうけれど。
どうもあの男の勝ち方は面白くないから、あまり感激できないのだがね。
でもあの男を止められる選手は本当に数少ないと思うんだよなあ。
個人的には弟シュレクあたりに注目してるんだけど。
………ああ、ランス父さんか(w
来年のツールのラルプデュエズでコンタがランスのアシストをやってたりして。
昨日事故りました 10針 |
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痛い話 |
こちらは自転車
あちらは車
あちらは赤信号で停車中。
こちらは自転車で路肩を走りながらその脇を通り抜けようとした。
そしたら眼前1mで突然ドアがオープン。
ブレーキも何も無くそのまま衝突。
2mくらいふっとんで着地。
結果としては、耳が割けました。中身の軟骨と一緒にフチから2cmほど。
ちょうどドアの縁の鋭い部分に側頭部から衝突して、耳のフチの部分が圧断されたらしい。
それで10針。
ちなみにいつも思うのはどうして大けがをする時、自分は凄い冷静になるんだろうという疑問。
(ちなみに現時点で全身合計35針くらい縫ってます)
多分、冷静度という意味では普段以上だと思うんだけど、これは生命の危機に対して本能的に頭がスイッチングしてしまうからなんだろうか。
ちなみに耳、つまり頭をぶつけたんですがまだMRIとかを撮ってないので、明日の朝目が覚めない可能性もあるという状況。認知障害や自覚症状はまだ出てないので、外傷性脳内出血による急性な容態変化は起きないと思うのだけど。
とりあえず皆様に当たり前なアドバイス。
どんなに病院が目の前でも、どんなに傷が痛くても、事故ったときは救急車と警察を呼んで病院に運ばれましょう。
救急車が来るまでの間痛みに耐えなければならないけれど、後で現場検証をやる時の状況説明の面倒さにくらべれば余程マシかもしれません。
ただ相手が事故の状況をきちんと理解できてなかったり、もしねつ造しそうな場合は、相手だけを残して搬送されるのは避けた方が良いです。
病院についてみたらいつのまにか自分の自損事故扱いになってる、みたいな事も有ります。
大体において、警察の事実認定は先に事情を話した人間の内容に大きく左右されるので、血まみれでもなんでも自分の口で状況をきちんと伝えておくべきかと。
あと、とにかくヘルメットは被りましょう。
そうすれば自分みたいなケガは防げます。
たまたま近所の用事だったので被らなかったのだけれど、
今からすればその油断が最大の後悔。