7widgetsを調べてみた |
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調べてみた |
ウィジェットライブラリ
mixiとかTwitterとかはてブとかのウィジェットをiGoogleなんかに放り込める。
あんまりウィジェット使ってないからよく分かんないっす。自分そこらへん不器用な人間ですから。
mixiやめたし。
HeartRails Captureを調べてみた |
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調べてみた |
ぶっちゃけkwoutの姉妹サービスみたいなもんなんだろうか。
kwoutが他サイトにimgタグで引用することを目的とするのに対して、
こっちはpdfにしたり、サムネにするのが目的みたい(これはkwoutと大して変わらんか)。
使い勝手はkwoutの方が良いかもしれんけど、apiの利用が楽ちんなので汎用性はこっちのが上かしら。
HeartRailsのサービスを調べてみた |
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調べてみた |
スクリーンショットを他サイトに引用できるサービス
cut後、自分のサイトに持っていったり、Flickrやらsa.yona.laやらに引っ張ってくる事も可能。
色々応用が効きそう。
ポスト民主主義 |
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politics |
■民主主義は人類の社会・政治の最終形態なんだろうか?
■独裁や全体主義を批判する人間はいるけれど、民主主義は常に正しい、そして今後これ以上人類に適した形態は誕生し得ない、と考えている人も多い。
でもよく考えると、民主主義の誕生からは既に数百年。
世の中は色々な所が変わって、新しいものが沢山発明されている。
そろそろ、ポスト民主主義を、誰かが考え出しても良い頃なんじゃないか
自分はそう思っている。
■まー、そもそも真の民主主義なんて一度も実現してないじゃないか、というオチもあるんだけどw
ただ、思うに民主主義以上の形態を作るには、ヒトが変わらなければならないと思っている。
例えば人間の知性の一部を機械が肩代わりするようになる、とか。
テスト |
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Quote html test api |
これってまさか、タグ検索も無し?
そうすると、他のヒトの記事検索ってどうするんだろうか
エントリーの内容以外でユーザーを差別化する方法がない。ブログタイトルはユーザーアカウントと同一になるが、そのアカウント名すら自分で指定できない。こうした仕組みによって、ブログに個性を求められることからユーザーを解放するのだという
フォントサイズ2、カラー青
■api
どうもsign out状態で、一度apiにtitleやtagやbodyを指定して入力すると、
その後サインインした後に、ブックマークレットからquoteしてもapiで入力した情報が優先して登録されるらしい。
あと、apiはpost以外の機能は実装されるんだろうか。
そもそもリリース情報って何処かで見れるのか。
The Last Frontier - 日本の巨大地下街・地下通路 まとめサイト |
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地下 underground |
The Last Frontier - 日本の巨大地下街・地下通路 まとめサイト
日本の、東京の地下の謎を探る者達の痕跡がそこにある。
オカルトでもない、サブカルでもない。
その先に有るのは真実である。
ウェブマイノリティ宣言 -多数派にsa.yona.la- |
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WebMinority |
もう完全に自分の考えていた事そのままのサービスなので早速使ってみた。
■小中高と自分は少数派だった。
だから多数派の価値観がよく理解できなかったし、
多数派の文化や流行に距離を置いていたし、
多数派に嫌悪感や優越感や劣等感を抱いていたし、趣味も偏っていた。
そしてだからこそネットを始めた。
始めた頃のネットは少数派の世界に見えた。
多数派の価値観に支配されないその世界はとても自由に見えた。
多数派の価値基準で、自分を評価されない、
自分の価値を、そして自分という在り方を自分の基準で決められる、
そういう精神的に自由な世界だった。
■だから今のウェブが好きになれない。
そもそももはや誰もがウェブを使うようになっている。
ウェブは多数派の所有物になってしまっている。
その上もう一つ好きになれない理由がある。
Web2.0 SNS YouTube ニコニコ動画 ソーシャルブックマーク
自己表現 自己満足 自己実現
なんでもいい、そういう今のウェブの風潮、流行が好きになれない。
なぜならそれら全てが、
他人と交流し、他人に評価され、他人に向けて表現を行う
そんな事をドグマとして要求されるからだ。
そしてそんなドグマが、オンリーワンを目指す多数派への呼び水にもなってしまった。
■現実世界に「存在する」為にははただそこに居ればよかった。
別に自分の内面を表現する必要なんてなかった。
自分を表現し、自分を見つめるのは、自分だけでよかった。
「ウェブを行う」「ウェブに存在する」とは、双方向性がWeb2.0と言われる中でイデオロギーのように重視されてしまえば、もはやただの「見るだけ」では存在する事にはして貰えない。
言葉でも絵でも動画でも声でも、何にしても表現しなければいけないし、
他人からそれを評価されてしまうし、
他人と交流しなければならない。
つまり今、ウェブに「存在する」には、否応無く表現し評価され交流しなければならない。
つまり、多数派の価値観に合うように表現し、多数派の価値観で評価され、多数派の価値観に従って多数派と交流しなければならない。
■つまり自分という存在価値が、多数派によって100%決められてしまっている。
■つまり自分という存在の、「存在方法」が多数派のメソッドでしか許されていない。
■つまり「自分」が、多数派になってしまう。
■存在する為には表現しなければならない
■表現をすると評価されてしまう